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大学院入試に落ちた。(1)

タイトルのとおり。

 
院試を甘く見すぎていた。二次募集があるものだと勘違いしていて、失敗したらもう1年頑張ろうになる事を知らなかった。もう一回チャンスが有るなら次でいいかと全くと言っていいほど勉強しなかった。合計勉強時間は20時間ほど。それでいて、95%以上の学生が合格すると聞いていたこと、研究室に顔を出さなかったから焦りが生まれなかったこと、落ちた要因は腐る程挙げることが出来る。もし落ちたら親や下宿の大家さんに迷惑がかかることも分かっていた。

 それでも勉強はしなかった。落ちるのは当然の結果だった。

 落ちた自分の立場を考えると胃が痛くなる。でもそれと同時にある種の開放感もある。
この大学院試験を受けるまでの1ヶ月間、ずっと自分はどうしたいのかを悩み続けていた。
研究室に配属されて、優秀な同期と並んでみることで、如何に自分が学生として足りてない存在なのかをいやというほど感じ、これまでの人生でぶくぶくと膨れ上がっていた自尊心が嫉妬や僻みを生み出しては、その感情を活かそうともせず溜め込んでいた。

 その溜め込んだ感情をどうやって解消するのか。本来は、劣っているものが成績ならばその穴を埋めるように勉強し、運動ならより体を動かそうとする原動力となるべきである。そうして他者承認が得られると、これまで自分が行ってきた行動にプラスの価値をつけ、「経験」として活かすことができるようになる。
 私の場合は、まず「引きこもりだった」という過去の経験が大前提としてある。この経験は自分にとって大きくマイナスだったと評価をしている。なので、テストで中盤くらいの成績をとった時は「もともと引きこもりだったのにこんな成績が取れるのか」という、結果に対して釣り合いの取れない自己承認欲求に満たされることになる。これを大学4年までずっっっっっっと引きずってきた。このおかげで、他者から見た時の評価が「まぁまぁ」だった時でも、自分の中では「引きこもった経験の無いやつであればまぁまぁだけど俺は引きこもってた分損してるからすごいんだ」と錯覚してしまい、自分を成長させる機会を逃していた。

 大学院に落ちたという報告を受けて、教授とこれからどうするかを少しばかり相談した。その相談の中で実感したのが「自分がない」ということだった。これは他の大学生にも共通しているのではないか。
 大学生にはやりたいことがあるからこの大学に来たんだというやつもいれば、さっさと修士までやることやって就職するんだというやつまでいろいろいる。私はAO入試とかいう人()をみる試験に、見てくれを誤魔化して合格してしまったばっかりに、身の丈に合わない大学に入ってしまった。入学してからも、目標もなく、ダラダラと卒業最低限の単位だけをぎりぎり取得してきた。もちろんそんな気持ちの持ちようでは持つべき学力もついてない。AO入試のための志望理由書も、こういうネタで書けば受かりやすいんじゃないかと自分の希望に関係なく書いたし、コース選択から研究室配属までその志望理由書通りに進んできた。高校の文理選択も、父親が工学部関係だったからという理由で理系を選択した。そこに自分の意思は介在していない。
 今振り返ってみれば、高校の段階で心理学がやりたいから文系を選べばよかったし、理系を選んでいたとしても、大学入試・学科内コース選択・研究室配属で自分の行きたい選択肢を選べばよかったのだ。たくさん機会はあった。でも私は楽なほうを選んできた。

そうして残ったのが、院試に落ちて、学力もなく、先がない男子大学生(22)だ。

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