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研究室について 第二章 大学院試験と就活(1)

 続きです。

(1)やってしまった大学院試験

 大学院試験までラボには最低限しか行っていなかったことは前の章でお話しした。だったらそのラボに行ってない時間で何をやっていたかというと、正確に思い出せない。大学院試験があるという理由で7月にコンビニバイトも辞めた(自然消滅した)ので、結構な時間はあったはずだ。思い出すためにスマホの写真を漁ってみると、パチスロの画像が出てきた。

 おそらくこの頃は、週1~2回の頻度でパチスロを打ちに行っていた。というのも、アニメ・ソシャゲ・PCゲーがいままで通りに楽しめなくなり、脳内麻薬を簡単かつ大量に分泌させることができるパチスロにハマりつつあった。ただのギャンブル依存症じゃんクズかよと思われるかもしれないが、ガチャを際限なく回してしまう依存症の素質があったことや、パチスロを始める前からPCゲーやソシャゲに身が入らなくなっていたので、行き着いた先がパチスロだったという弁明をさせてほしい。

 ギャンブル依存症に片足を突っ込んだヤバい状況のまま前期が終わり、夏休みになった。講義に行っていた時は毎日外に出る必要があったので、まだまともな生活をしていたが、講義にもラボにもいく必要がなくなったため、引きこもり状態に陥った。周りが院試勉強をする中、「このまま院行ってあの研究室で何やるんだ」「院に進むほどの学力が俺にあるのか」といった不安に駆られる。院試の過去問を見ればわかるが、大学院入試は教科書の章末問題レベル(科目によって差はあるが)でなおかつ在学生は半分以上取れれば合格ラインと言われている試験である。当然勉強すればほぼ誰でも受かるし、教授からは「君は学科内では並の成績だから落ちることはまずない」と言われていた。しかし院試勉強するわけでもなく、何かをするわけでもなく、ただ漠然とした不安に精神を追い詰められながら時が過ぎていく。院試一週間前にもなるとほとんど外出せず、宅配ピザで生活をしていた。

 完全に手遅れだとは思うが、院試二日前くらいにようやく過去問に手を出すことができた。全く院試勉強をしてこなかったわけではないが、どう見積もっても過去問を解ける演習量は積んで来なかった。それから各科目4時間ほど勉強して試験に臨んだ。詳細な点数は開示請求しなかったため不明だが、結果はケツから2番目で不合格だった(順位は教授から聞いた)。直前で勉強したにもかかわらずこの順位はヤバいと思うし、そんなに勉強していなかったように見えた友人は合格していたので、単に俺の頭が悪かったのだとも言える。

不合格が研究室に通知されるや否や呼び出しをくらい、教授と1時間程度の面談をした。つらすぎて内容はそんなに憶えていないが、私がメンタルヘルスに通っていることを伝えると、「私は心の病には詳しくないが、私は~を手術して、薬も飲んでいて、食べられないものもある。でも私はそれを周りには主張したりはしない。だから君も隠す努力をしろ。(意訳含)」って言われたのは未だに心に残っている。教授は素晴らしい業績を残している方であるし、庇護してもらうために病気と主張するのは周りに迷惑をかけるため、その意見はもっともだと思うが、うつ状態に近かった私には努力という言葉だけが重くのしかかった。そして、面談の最後には教授と「親と電話で相談し、研究生として院浪するか、就職するかを決める」ことを約束する。

 教授から言われた「努力」という言葉と、院試に落ちてしまったダメな自分を変えなければならない「使命感」から、就職することを決め、親からの了承を得て9月中旬から就職活動を開始した。 

 これまた1000文字越えてしまったので、就活編は別の記事に書きます。今思えば、するべき選択は「院浪」だったのかもしれませんが、周りにおいて行かれたくないというプライドがあり、就活を選んでしまいました。Twitterのつぶやきでもありましたが、飯が美味しいと感じられるときに人生の重要な選択をしましょう。周りはせかすかもしれませんが、取り返しのつかないことになるよりかはマシです。親への負担や周りからの視線があったとしても、将来的に潰れて俺みたいな無職になって親に迷惑かける前に、留年や浪人して心と時間に余裕を作ったうえで、飯が美味い時に将来設計しましょう。人生順風満帆な人には関係ないけどな!!!
ではまた次の記事で



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