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第三章 精神を蝕む卒業論文

 思い出すとつらくなる卒論についてです。ちょうど一年前のお話なので、記憶があいまいな部分もありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

1.内定後の研究内容

 研究テーマは、以前の記事でお話した、プレゼンテーション発表に用いられた論文と同じ分野のテーマだったが、身バレ云々のため詳細は控えさせていただく。この研究はチームで行っていたもので、主導が准教授とポスドクの2人、その下にM2、M1、B4(俺)の3人がついて実験していた。

 卒論のテーマが決まるまではM2の修論実験を手伝ってねということだったので、機材の使い方やデータの取り方を教えてもらいつつ、最低限の実験を手伝っていた。実験系が複雑かつデリケートなものだったため、実験を行う際は必ず人がそろってから始めることになっており、古くからの(悪しき)慣習で、午後・夜の2回に分けて実験を行っていた。そのため、生活リズムが強制的に夜型となり、毎日お昼頃に起床し、日が変わるまでラボにいて、午前1時ごろに家に帰宅するという生活を送っていた。コンビニで夜勤をしていたため、生活リズムはもとから滅茶苦茶だったが、午前・午後で実験して夜はなるべく早く家に帰れる生活を送っていればもう少し自律神経を安定させれたのではないかと思う。

 研究テーマは1月の時点で、「たぶん実験系のこの部分を卒論のテーマにするから」と准教授にほんわりと言われていたが、卒論の正式なタイトルが決まることなく2月を迎えた。


2.卒論テーマの決定と卒論発表

 2月中旬にようやく准教授から卒論のタイトルを伝えられ、卒論を書き始めることができるようになった。このときはまだ研究データも成果もなかったので、それに関係なく埋められる序論を書いていた。M2の先輩が実験結果が思ったように出ず、クッソ禿散らかしながら実験しているのを手伝いながら、「このペースで本当に俺の卒論は完成するのか?」と不安になった。結局、M2の先輩が進めていた実験はうまくいったとは言えず、先輩の修論には現状報告といった形で記載されるに留まった。

 その後、M2の修論審査が無事終わり、やっとのことで卒論のための研究ができるようになった。M2の先輩が使っていた実験系の一部分が卒論のテーマだったわけだが、実際に実験をするには実験系をすべて動かす必要があり、自分で関連研究等の学習をしてこなかった俺にとっては知識がまったく足りず、ポスドクの人に寄生しまくった。そもそも俺よりも優秀なM2の先輩が上手くいってなかった実験を引き継いだ時点で、結果どうなるかは推して知るべし。測定装置や実験装置の素材を変えたりするも、日によってうまくいったりいかなかったりで、良くなったという結果が出せず、トライ&エラーの繰り返しだった。多くのデータを記録したが、結果が伴わなかったため、卒論に載せることができるデータが揃わず、

実験する→データをスライドにまとめる→チーム内ミーティング→教授に報告→報告結果をもとに実験内容を変える→(以下ループ)

を何度もやった。教授は豊富な知識から、様々なアプローチを指南してくれたが、その手法で実験してみても、一方では上手くいってても別の観点からみると上手くいかないトレードオフの関係に悩まされ続け、とてつもない閉塞感に襲われた。

 先の見えない実験を繰り返していたら、刻々と卒論発表会の期限が迫っていた。午前中は卒論用スライド・卒論作成、午後から帰宅するまでは実験、ストレスが限界に近くなったら寝る間を惜しんでパチスロという生活をしていたら寝不足が祟り、自律神経がぶっ壊れて慢性的な頭痛になってしまった。この頭痛、非常に厄介で、一度痛み出すと収まるまでは頭で物事が考えられなくなるため、准教授や教授から詰められているときはこちらから意見を言うこともできず、ただ罵られることしかできなかった。大袈裟に聞こえるかもしれないが、卒論発表の練習を准教授に見てもらっていたとき、プレゼン中に話そうと思っていたことが突然喉から出てこなくなり、そこから1時間ほど全く声が出せなくなってしまった。ようやく絞り出せた声が「すいません」だったことは覚えている。准教授の貴重な時間を奪ってしまった(「せっかく時間取って聞いてるのになんだお前は」っぽいことを言われた)ことと、本番の発表中に同じことを繰り返してしまう可能性を考え、ありえんくらい精神的に追い詰められた。喋れなくなったことで、いままで誤魔化しつづけていたストレスが症状になって出てきたんだなと、流石に当時の俺でも理解はできたが、そのストレスを発散させる手段も、時間も無かったので、どうすることもできなかった。

 結局、実験成果を出すことができないまま、報告に近い形で卒論発表会を迎えた。なんとか途中で止まることなく発表を終えることができたが、質疑応答はボロボロで、代わりにポスドクの先輩が詰められてしまった。唯一の救いが、教授が成果の無い俺の発表に対して「がんばったで賞」のような扱いをしてくれたことだった。ただ、「卒論書き終わるまでまだ時間あるからまだ実験するよね」的なことを言われた時はハハハと言ってしまった。


3.卒論を提出 大学生活をターンエンド

 卒論発表会が3月15日あたりに終わり、そこから本格的に卒論の作成に取り掛かった。引っ越しや新生活の準備も並行して行っていたため、とんでもなく忙しかった。M2の先輩の修論を参考()にして、准教授から「自分で考えて書いたところどこ?」って詰められて、パチスロ打って、卒論を教授に受理してもらったのが3月28日だった。こんな日程になってしまったのは、自分の見通しの甘さが一番の理由だが、次点で卒論提出を暗黙の了解で5~6月まで認める研究室の体質にもある気がする。当然研究室は例年通り、院に行く学生を基準にして日程を組んでいたので、学部で就職する人はキツい日程を組まれることになる。俺は院に落ちたという大罪を背負っているので文句をつけることはできないが、就職する学部生の人は、研究人材として学生を確保しようと動く研究室に負けないでほしい。無事提出を終えて研究室を脱出した俺は、1日の春休みを東京で満喫(個室ビデオでシコった)して、3月30日の入社式に臨んだのであった。


 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 俺に必要だったのは、社会人になる前の、1ヵ月ほどの春休みだったんだと思います。旅行したり、ライブ行ったり、社会人になる準備をしたりで、心の余裕を作ることができれば、新人研修で追いつめられることなく、仕事を続けられたのではないかと思います。これは、卒論を余裕をもって完成させれなかった俺の責任ですが、本来であれば、修論発表会や卒論発表会が終わればみなさんには春休みがやってきます。その春休みは、思う存分遊んで、キツい修論実験・新人研修を耐え抜く心の余裕を作りましょう。


 今は引っ越しの際に処分したぷにあなDXが非常に恋しいです。元カノを思い出してもの悲しくなる感情ってこういう感情なのでしょうか。



では

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